柔の道

『The Danaher Diaries』――初心者が本当に使えるところ

Heroes of the Art編『The Danaher Diaries』の表紙
『The Danaher Diaries』、Heroes of the Art編纂(独立出版、二〇一九年)。非公式の編纂本。書影は書評のための掲載。

The Danaher Diaries: Over 100 of John Danaher's Musings on Jiu-Jitsu, Kaizen, Training, and Livingは、ジョン・ダナハーが書いたのではない本だ。Heroes of the Artと名乗る匿名の編纂者が、彼が公開してきたSNS上の随想百本余り――大半はInstagramの投稿だ――を集めて二〇一九年に自主出版した。そして全三巻を取り上げたMartial Journalのレビュアーは、ダナハーがこの企画に気づいていることを示す言及すら見つからなかったと報告している。それでも、中の言葉は彼のものだ。ダナハーはニュージーランド育ちのヘンゾ・グレイシー黒帯であり、ジョルジュ・サンピエールとゴードン・ライアンをコーチし、この競技で「ダナハー・デス・スクワッド」の名で知られたチームを率い、現在はニューウェーブ柔術(New Wave Jiu-Jitsu)を導いている。同じレビュアーは彼を「おそらく、世界の舞台で柔術を代弁する最も雄弁で哲学的な人物」と呼ぶ。思想には注目の値打ちがあり、パッケージには精査の値打ちがある。その両方の持ち方を、ここに記す。

カイゼン――カレンダーに書き込める上達

副題で重みを支えている言葉はカイゼン、すなわち継続的な改善を意味する日本語であり、この編纂本はそれに一つの章を丸ごと充てている。哲学を修め、コロンビア大学の博士課程を離れてグラップリング指導を本業にしたダナハーは、一篇また一篇と同じ主張へ戻ってくる。上達は小さく、方向づけられた、日々の作業から来る。才能からでも、英雄的な練習からでもない。その説教なら、趣味で続ける者は誰でも聞いたことがある。彼の版が心に残るのは、作業は何か特定のものを狙え、という強い主張のゆえだ。「全般的に」うまくなろうとすることこそ、人が停滞する仕組みなのだから。

実践に移すと、この考えには輪郭がある。日曜、ノートに問題を一つ、狭く名指して書く。「ガードを直す」ではなく「ハーフガードでクロスフェイスが来ると潰される」だ。一週間ずっと、どのロールもその問題が住む場所へ誘導する。回り道でラウンドを落とすことになっても、だ。そしてドリルの相手には、自分を打ち負かすまさにその圧をくれるよう頼む。ドリルの記事が描く、あの正直なエネルギーだ。金曜、書いたものを読み返し、一つの問いに答える。小さくなったか、なっていないか。授業のあとに何を書くかはノートの記事が扱っている。カイゼンは、ノートに記憶だけでなく方向も必要な理由のほうだ。名指しされた問題が年に五十二個というのは、通って祈るだけの一年とは別の競技である。

目標を持つシステム――ロールについての一つの考え方

二つ目の使えるテーマは、ダナハーのコーチングを有名にしたそれだ。彼は柔術を、技の詰め合わせではなく、レビュアーの言い回しを借りれば「それぞれが目標を持つ、統合されたシステムの集合」として扱う。書評はその枠組みこそ全巻の核心だと拾い上げており、その論理は、彼のチームが知られるようになった足関節技のシステムに現れている。エリートの機構を剥ぎ取れば、この心構えは初心者の火曜日にも収まる。どのポジションにも仕事があり、それが何かを自分の口で言えるべきだ、ということだ。

次のロールで、この実況を試してみるといい。ラウンドの前に、自分がいつも行き着く場所について一文。「クローズドガード――何よりも先に相手の姿勢を崩す」。ラウンドのあと、鎖が切れた輪に名前をつける。パスはしたが抑えられなかった、が一つの答え。抑えたが何も攻めなかった、が別の答え。抑える前に攻めた、はこの競技で最も古い過ちの一つで、ポジションが先の記事はそれを正すために存在している。切れた輪は次の日曜のノートの一行になる。ここに、この本の静かな仕掛けがある。二つの大きなテーマは、狙いを定めて繰り返される一つの習慣だったと判明するのだ。

『The Danaher Diaries』を疑うべきところ

まず出どころから。非公式の編纂本では、出どころこそが書評だからだ。各篇はダナハー自身のフィードで無料公開されたもので、大半はInstagramにあり、彼の随想は今もそこに置かれている。Martial Journalのレビュアーは全巻を「ダナハー氏のSNS投稿をそのまま転載したもの」と描写し、ダナハーが関与した形跡はないと報告し、印税がダナハーに渡っていると聞ければ嬉しいが、そうだと言うことはできない、と述べている。この本を買うことは、無料のフィードを選び抜いて印刷したものに対して、見知らぬ他人へ金を払うことを意味する。その選別には値打ちがあるかもしれない。だが、その選択は事情を知った上でなされるべきだ。

パッケージにも代償がある。著者も編集者も各篇を本の形に整えておらず、それは見て取れる。Goodreadsの読者レビューは綴りの誤りや、ばらばらで繰り返しの多い読み心地を指摘し、Martial Journalの書評も、全巻を勧めながらなお目に余る誤植を記している。文脈は、より捉えにくい損失だ。随想はフィードの写真の下に据えられるために書かれ、その日の出来事に結びついていた。その出来事を欠いたまま転載されると、いくつかの篇は、この本が載せ忘れた問いへの答えのように読める。疑うべきはパッケージであって、言葉ではない。言葉はダナハー自身のものだ。

誰のための本か

練習と練習のあいだにも稽古のことを考え、ダナハーの思考をスクロールして探すよりジムバッグに入れて持ち歩きたい初心者にとって、この本はその出自が約束する通りの形で応えてくれる。一度に二、三ページ、授業前の駐車場で、だ。技のためには買わないこと。各篇は腕十字や絞め技やガードの保持について思いを巡らせるが、そこからドリルできるものは何もない。すでにInstagramでダナハーをフォローし、届くそばから随想を読んでいるなら、中身はもう持っている。購入が加えるのは紙と並び順とフィードからの自由であり、それ以上ではない。

The Danaher DiariesAmazonで入手できる。

読者からの問い

『The Danaher Diaries』はジョン・ダナハーが書いたのか

書いていない。Heroes of the Artと名乗る匿名の編纂者がダナハーの公開随想を集め、二〇一九年に独立出版した。全三巻を取り上げた唯一のレビュアーは、推薦はおろか、ダナハーがこの本の存在を知っている形跡すら見つけられなかった。文章はダナハーのものだが、本はそうではない。

『The Danaher Diaries』はBJJの初心者に値打ちがあるか

ある。ただし指導ではなくマインドセットのために買うなら、だ。一年目の学び手にとって長持ちする考えは二つ。名指しされた特定の何かを狙う上達としてのカイゼン(週に一つの名指しされた問題。この記事が仕立てた実践だ)と、どのポジションも、自分の口で言える目標を持つシステムとして扱う習慣だ。そこからドリルできる技は何も教えていない。

この本でカイゼンとは何を意味するか

カイゼンは継続的な改善を意味する日本語であり、この編纂本は一つの章をそれに充てている。ダナハーの用法では、特定の何かへ向けられた小さな日々の作業を意味し、それによって上達は、出席の偶然ではなく予定された実践になる。

本を買わずにダナハーの随想を読めるか

読める。各篇はもともと無料公開のSNS投稿であり、大半は、ダナハーが今も書き続けているInstagramにある。Martial Journalのレビュアーも、費用を節約したい人は元の場所で中身を読めると記している。この本が加えるのは選別と紙とフィードからの逃げ場であって、新しい文章ではない。

これは初心者の日誌であり、指導ではありません。ここにある内容はトレーニング・健康・医療のアドバイスではありません。資格のあるコーチに学び、早めにタップしてください。 免責事項