柔の道
ポジションが先、サブミッションは後:ようやくの説明
「ポジションが先、サブミッションは後」とは、狩りの前に 必ず保持が来るという意味だ。毎回、例外なし。そしてこの 格言が助言ではないと学ぶのに、僕は四ヶ月かかった。あれは、 この競技が物理的にどう動くかの記述だ。「測ってから切れ」が 大工仕事を記述しているのと同じように。
用語集は、上の選手の職務記述書の全体を二つの 文に圧縮した。ガードをパスして、ポジションを保持して、 サブミッションを探す。どのコーチも何かしらの版を繰り返す。 僕はその言葉に一ヶ月うなずきながら、正反対のことをやって いた。正反対こそ、本能が命令してくるものだからだ。
無視するとどう見えるか
六週目の僕に見える。誰かのクローズドガードの中で腕を一本 見つけ、それめがけて飛び込んでいく僕だ。腕は取れなかった。 スイープされ、マウントされ、礼儀正しく絞められた。その 順番で。相手の青帯はそれまで、僕が出ていくのを待つ以外、 何ひとつしていなかった。
あの飛び込みは主導権のように感じられる。実際には放棄だ。 仕上がってもいないポジションを、始まりもしなかった攻撃の ために手放す。初心者は全員、この贈り物を何十回も手渡す。 サブミッションだけが、僕らが入門の時点ですでに欲しがって いた、柔術の唯一の部分だからだ。
順番がスタイルではなく物理である理由
サブミッションとは、孤立させた一つの関節か一つの首に、 安定した土台の上で働く全身をぶつけることだ。設計図はそれで 全部で、それを支えて立たせているのが土台だ。ポジションを 剥ぎ取れば、同じアームバーは手足一本が手足一本を引っ張る 行為になる。公平な勝負だ。そして公平な勝負こそ柔術が避ける ために存在するものである理由は、 フレームの記事が説明している。
最初の数ヶ月に僕をタップさせた人たちは、攻撃しているように はまるで見えなかった。体重をどこか快適な場所へ移して、 待っていた。攻撃は、ついに来たときには、ほとんど後付けの 思いつきだった。二分前から流れていた歌の、最後の一音。 サイドコントロールの記事は、その歌を下から 描写している。あの重さは、技の前の間などでは一度もなかった。 重さこそが技だった。
信じると何が変わるか
ロールが、失敗した結末の数珠つなぎであることをやめる。 最初の数週間、僕はラウンドを、試みたサブミッションの数で 採点していた。つまり、一度も始めていない工程の最終ステップ で、六分間繰り返し失敗していたということだ。いまのラウンド には別の節目がある。パスできたか。保持できたか。相手の 最初の本気のエスケープを、ポジションは生き延びたか。 サブミッションがひとつも無いラウンドが、その月いちばんの ラウンドでありうる。
この格言はカタログの説明にもなっている。 サブミッション用語集は結末のリストのように 読めるが、載っているどの項目も、先に保持されたポジション から始まっている。バック、マウント、パスされなかった ガード。あのリストのどれひとつ、どこでもない場所からは 効かない。
どこかには、いいところまで飛ばして進めるバージョンのこの 競技があるのだろう。うちの道場には、それを探しに来る人が 後を絶たない。彼らは一ヶ月飛び込み、頭打ちになり、やめて いく。サブミッションを千回試み、何ひとつ保持しないままで。 遅い生徒たちは、ひと季節で彼らを追い越す。静かに、上から。 「ポジションが先」は、気の長い人向けの遊び方ではない。 メニューにある唯一の品だ。飛び込みは、それを知るまでに 余計な時間がかかるだけだ。
これは初心者の日誌であり、指導ではありません。ここにある内容はトレーニング・健康・医療のアドバイスではありません。資格のあるコーチに学び、早めにタップしてください。 免責事項