柔の道

ポジションが先、サブミッションは後:ようやくの説明

墨の挿絵:ポジションが先、サブミッションは後:ようやくの説明

「ポジションが先、サブミッションは後」とは、狩りの前に 必ず保持が来るという意味だ。毎回、例外なし。この格言は 助言ではない。あれは、 この競技が物理的にどう動くかの記述だ。「測ってから切れ」が 大工仕事を記述しているのと同じように。そしてこれは、初心者が 最初に言われることのひとつであり、初心者の本能が最後まで 同意しないことでもある。

用語集は、上の選手の職務記述書の全体を二つの 文に圧縮している。ガードをパスして、ポジションを保持して、 サブミッションを探す。どのコーチも何かしらの版を繰り返す。 その言葉にうなずきながら、正反対のことをやってしまうのは 簡単だ。正反対こそ、本能が命令してくるものだからだ。

無視するとどう見えるか

典型的な初心者のミスの姿をしている。誰かのクローズドガードの 中で腕を一本見つけ、それめがけて飛び込み、外す。そして スイープされ、マウントされ、礼儀正しくパスされる。その 順番で。相手はそれまで、こちらが自分のポジションから 出ていくのを待つ以外、何ひとつしていない。

あの飛び込みは主導権のように感じられる。実際には放棄だ。 仕上がってもいないポジションを、始まりもしなかった攻撃の ために手放す。初心者は全員、この贈り物を何十回も手渡す。 サブミッションだけが、僕らが入門の時点ですでに欲しがって いた、柔術の唯一の部分だからだ。

順番がスタイルではなく物理である理由

サブミッションとは、孤立させた一つの関節か一つの首に、 安定した土台の上で働く全身をぶつけることだ。設計図はそれで 全部で、それを支えて立たせているのが土台だ。ポジションを 剥ぎ取れば、同じアームバーは手足一本が手足一本を引っ張る 行為になる。公平な勝負だ。そして公平な勝負こそ柔術が避ける ために存在するものである理由は、 フレームの記事が説明している。

初心者をタップさせる人たちは、攻撃しているように はまるで見えない。体重をどこか快適な場所へ移して、 待っている。攻撃は、ついに来たときには、ほとんど後付けの 思いつきだ。二分前から流れていた歌の、最後の一音。 サイドコントロールの記事は、その歌を下から 描写している。あの重さは、技の前の間などでは決してない。 重さこそが技だ。

信じると何が変わるか

初心者にとって、ラウンドは失敗した結末の数珠つなぎに見える。 試みたサブミッションの数でラウンドを採点してしまうせいで、 一度も始めていない工程の最終ステップ で、六分間繰り返し失敗することになる。見るべき節目は 別のものだ。パスできたか。保持できたか。 最初の本気のエスケープを、ポジションは生き延びたか。 サブミッションがひとつも無いラウンドが、その月いちばんの ラウンドでありうる。

この格言はカタログの説明にもなっている。 サブミッション用語集は結末のリストのように 読めるが、載っているどの項目も、先に保持されたポジション から始まっている。バック、マウント、パスされなかった ガード。あのリストのどれひとつ、どこでもない場所からは 効かない。

どこかには、いいところまで飛ばして進めるバージョンのこの 競技があるのだろう。それを探して入ってくる人は 後を絶たない。彼らは一ヶ月飛び込み、頭打ちになり、やめて いく。サブミッションを千回試み、何ひとつ保持しないままで。 辛抱強い人たちは、静かに、上から彼らを追い越していく。 「ポジションが先」は、気の長い人向けの遊び方ではない。 メニューにある唯一の品だ。飛び込みは、それを知るまでに 余計な時間がかかるだけだ。

これは初心者の日誌であり、指導ではありません。ここにある内容はトレーニング・健康・医療のアドバイスではありません。資格のあるコーチに学び、早めにタップしてください。 免責事項